大判小判

大判小判

河原塚中時代の森豊浩基が、当時の親友・大輔氏とともに編み出した暗黒舞踏A&G Co.パフォーマンス公演史上、最大のイヴェントのひとつである。


■発祥秘話

当時、本人たちにはそれが暗黒舞踏であるという意識はなく、ただ、宅地造成中のがけっぷちを目の前にして、『ルパン三世』(1971-1972)の「脱獄のチャンスは一度」で、黒姫刑務所脱獄に成功したルパンと、それを待っていた次元とが、一年前に隠したお宝のありかを求めて歩く「昔山林だった宅地造成中のがけっぷち」を想起して、いきなりその暗黒風味たっぷりの舞踏が発明され、中学生たちは夢中になってそれを踊ったのだという。


■公演

1982年3月に東葛飾高校体育館で開かれた、バカな先輩方を送り出す「予餞会」の場で、大々的に公演が行われた。予餞会の公式プログラムには、「有志出し物」の項目があり、そこにはバンド演奏などが組み込まれていたのだが、なぜかその次に「大判小判」と明記されていた。つまり、「有志出し物」ディレクトリに「大判小判」が含まれるのではなく、同等の水準のディレクトリとして「大判小判」は丁重にあつかわれた。ちなみに、このときの予餞会実行委員長は、キムラ中学校時代の塾のクラスがいっしょだった三村善信である。彼によってこのプログラムは書かれた。


■公演内容(シナリオ形式で採譜--文責キムラ)

場内女性アナウンス「次は『大判小判』です」

客電落ちる。場内騒然。


8名の男が「大判小判がざっくざく」とくりかえし唱えながら、体育館中央に設置された特設ステージに向かい、暗黒舞踏的に練り歩く。

メンバーは、あぜキムラ(以上A&G Co.)、だーだ、そり、出ぐ坊(以上文学部)、てく蔵(落語部)、なりーた(客演)、依田清一(JRC)。

もうひとりの謎の男がその周囲を小走りに動く。

ステージに4名(あぜキムラ。てく蔵、依田か?)が上がる。ほか4名と謎の男はステージ脇でそれを見守る。


(SE)「ウルトラセブンテーマ」イントロ

それとともに、ステージ上でうなだれ整列する4名に当たるスポットライト。

イントロ「デーンデーン、デレーデッデー、デッテレー、デッテレーーーーーー」

「デッテレー」で4名顔を上げ、「デッテレーーーーーー」で胸を張る。場内歓声。


で、てく蔵考案のモダンデジタルダンスをくりひろげる。終わる。


ふたたび、4名はステージを下りつつ残る4名と合流し、「大判小判がざっくざく」を唱えながら、大判小判ダンス、あるいはフーリッシュ、ジューイッシュなどを交えて、ブラウン運動のように無秩序になっていく。

と、ステージ脇で待機していたもうひとりの謎の男(ディック)が、いつの間にか壇上に上がっており、そこにスポットが当たる。

男、被っていた風呂敷を取り去る。

男、両足を開いて立ち、両拳をそろえて地を突く動作、それとともに叫ぶ。


男「ズ!」

男と8名「サン!」

男、同時に両手を上に挙げる。(「杜撰」である)


沈黙。静寂。


場内女性アナウンス「『大判小判』でした」

[THE END]


名人

大判小判の名手はだーだとされる。まだ土俗的な風物でしかなかった「大判小判」をソフィストケイトされた芸術の域に高めたのは、だーだの功績である。だーだはその後、ロンドン大学で地質学の博士号を取得する。天は二物を平気で与えるのである。